巴里阿房旅行記1
「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。
パリは移動祝祭日だからだ。」
パリへ行こうと思う。
毎回私は旅行に行く時、特に理由がなく、なんとなく「旅をしよう」と思い立ち、その地へ赴くのだが、今回は理由がある。
「うんざりしたから」だ。
何にうんざりしたか?
それはうまく言えないがまあ何かにうんざりしたのだ。
大ざっぱに。
だから私は旅に出ようと思った。
大変曖昧な表現で申し訳ない。
とりあえず、パリへ行こうと思い立ったのはヘロヘロに酔っ払った、深夜2時だった。
beatportでDJ用の曲を買い、そのついでにチケットを買った。
1曲2.44ユーロの曲を買うことに散々迷い、往復15万のチケットをへらへらとワンクリックで買うのはなんだかおかしい気がしないでもないが、酔っ払いとはそういうものだし買ってしまったものは仕方がないのでそのままパリへ行くことにした。
正確にいうとパリ行きが決定したのは、チケットを買った翌日、前日酔っ払って自分の名前の入力を間違えた私に呪詛の念を送りながら変更料金をエールフランスにカードで支払った時だったが。
兎角、私はパリへ行くことになった。
今回でパリは三度目になる。
前回、前々回とも学生だったこともあり長期で滞在したのだが今回は休みの都合で一週間くらい。
少々残念ではあるがそれでもパリへ行くことを考えると血が沸き、胸躍り、酒が進む。
それは、4月の出来事。
そして今は7月で、飛行機に乗るために成田空港内を走っている。
なぜ走っているかというと搭乗時間ギリギリだからである。
毎回飛行機に乗る時はなぜかギリギリになる。
「ギリギリでいつも生きていたいから」
完全オリジナルの歌が頭の中で回る。
空港の中心でVを6回叫ぶようなシャレオツなフレーズで申し訳ない。
係員に荷物を投げつけるように預け、ゲートを走って潜り抜け、飛行機に飛び乗る。
息を切らせながらシートベルトを締める。
すぐにエンジンの轟音がして飛行機が飛び立つ。
さあ、パリへ。
夜間飛行の機内、ビールを呑みながらブコウスキーを読んでいる。
ビールを呑んで、仕事をして、女に恋して、裏切られて、仕事を辞めて、ビールを呑んで、女に恋して、ビールを呑む、そんな話。
ブコウスキーの小説にはすべてがある。
温かさも、弱さも、貧しさも、笑いも、男も、女も、セックスも、仕事の退屈さも、ビールも、救いのないこの世界も。
私は貧民席(エコノミーシート)に押し込まれて、隣で眠るデブのオヤジの鼾に舌打ちしながら安いビールを呑み、ブコウスキーを読む。
貴族席(ファーストクラス)でドンペリを呑み、モーツァルトに耳を傾けてGQを読むビッグマンの頭を機内に持ち込んだグロックでフットばす妄想をしながら。
飛行機は順調に飛び、あっけなくCDG空港に着いた。
朝4時半、まだ電車も動いてない時間。
私はカルネを買い、駅のベンチに座り、自販機で買ったやたら高いペプシコーラを飲みながらフランスの夜を睨む。
「明けない夜はない」
そんなありきたりなフレーズが頭に浮かんだがなんの役にも立たないのでティッシュに包んで飲み終わったコーラの缶と一緒にゴミ箱に捨てた。
夜の帳の向こうから始発電車がやってくる。
眠そうな黒人と一緒に電車に乗り込む。
一つ大きく息を吐く。
電車がゆっくり動き出す。
パリへ向けて。
東駅を見下ろせる小高い場所で
登る朝日を眺めながらトランクを引いている。
明け始めた空は底抜けに高く、蒼く、吸い込まれそうな錯覚に陥る。
時間はまだ6時前。
今回滞在するアパルトマンの大家と会うまでかなり時間がある。
東駅へ続く細い階段を降りて、とりあえず駅のすぐ前にあるカフェに入ることにする。
店の入り口まで行くとにこやかなギャルソンが私のトランクを店のクロークまで引いてくれる。
東駅はパリの街の中でも有数のターミナルなのでギャルソンも旅人慣れしているようだ。
私は窓際の席に座って朝食セットを注文する。
クロワッサン、オレンジジュース、カフェ・オレ。
絵に描いたようなパリの朝ごはん。
そんな朝食を食べて、地図を眺めて今自分がどこにいるかこの辺にはなにがあるかをぼんやり確認していたら、あっという間に待ち合わせの時間になっていた。
時間泥棒に遭ったのかと思うほどあっという間だった。
思わずギャルソンに、
「この辺に時間泥棒がいなかったか?」
と聞こうかと思ったがフランス語でなんと言っていいか分からないので止めておいた。
カフェを出て、またトランクを引きながら、朝陽のあたる道を歩く。
朝特有の爽やかな空気、トランクのプラスチックのタイヤが石畳を叩く音、けたたましい車のクラクションと共に。
今、私はアパルトマンのソファーに寝そべってビールを呑んでいる。
片言の英語とフランス語を駆使してなんとか大家とコミュニケーションをとり部屋を借り、シャワーを浴びて、近くの常設市場とスーパーで必要なものを買ってきて、部屋に戻り、こうしてダラつきながらビールを呑んでいる。
これから一週間、私はこの部屋に滞在する。
ホテルではないので掃除などは多少面倒だがそれ以外に不都合なこともないし金銭的負担も軽く済むので私はパリに来るときはアパルトマンを借りることにしている。
借り暮らしだが自宅にいるような安心感。
云わば、フランスの我が城である。
フランス語で言えば、Mon Château(モン シャトー)である。
博識で申し訳ない。
部屋はワンルームながらそれなりに広く(日本の2DKくらい有にある)リフォームしたばかりなのかなかなか小ぎれいだ。
なによりキッチン設備が充実しているのが個人的に嬉しい。
広いキッチン、電気コンロ、オーブン、食洗機まである。
さらに映像・音響設備も充実している。
壁掛けのSONYの液晶TV、そしてJVCのコンポが備え付けてあり、Ipodにもちゃんと繋いで聴けるようになっている。
素晴らしい。
早速、最近よく聴いているTwo Door Cinema Clubをかけてみる。
低音が効いてなかなか具合がよい。
鼻歌を口ずさみながらキッチンで先ほど買ってきたトマトをザク切りにして塩を振り、ビールと共にいただく。
フランスのトマトは日本のトマトより赤が濃く、まるでCG補正しているような色合いだ。
味も色と同様濃くて、美味い。
ビールはハイネケン。
大瓶で160円くらい。
「フランスといえばワイン!」という人が多いがビール好きの私的にはハイネケンとクローネンバーグ 1664がオススメだ。
ハイネケンは日本で呑むよりも喉ごしが良い気がする。
気候のせいかもしれないし、気のせいかもしれない。
まあ、私にはどちらでも良い。
美味ければなんら問題ない。
6階(フランスは1階が0なので実質7階だが)の窓からの風景もなかなか見晴らしがよく気持ちがいい。
しかもカーテンではなく、電動のシャッターで日除けをする。
セレブのようでもあり、八百屋や魚屋のようでもある。
とりあえず、今日はいい天気なので窓は開け放して高い空を眺めている。
そんな風にしてボヤボヤとビールを呑んでいるとあっという間に2時間近く経っていた。
せっかくパリへ来たのにこれはいけない。
別にヴァカンスで来ているのでなにもいけないことはないが生来の貧乏性の虫がせっかくフランスに来たのに勿体ないと騒いでいる。
天気も良いし、イイ感じに酔っ払ってきたし、散歩にでも行こうと思う。
フランス語でse Promener(ス プロムニール)である。
博識で申し訳ない。
さて、外に出てみたものの別に行くあてもない。
どうしたものかと考えていると「Vélib'」を発見した。
「Vélib'」は2007年からパリが導入している貸自転車システムで各所にあるステーションで自転車を借りるのも返すのも自由という便利な代物である。
私が前回パリに来た2006年当時にはなかったので、その後日本のニュースか新聞かなんかで見て「ほう、便利な代物があるじゃあないか。ぜひパリに行った暁には乗ってみたいものだ」と思っていた。
なので早速借りてみることにして、Vélib'ステーションにクレジットカードを差込む。
指示に従って手続きを進めていく。
Vélib'用のカードが作成できた。
あとはこのカードを登録・認証すれば完了である。
楽勝、である。
「番号を入力してください」
私のクレジットカードの暗証番号を入れる。
「番号が違います」
あれ?間違えたかな??
再度暗証番号を入れる。
「番号が違います」
・・・・・・どうやらクレジットカードの暗証番号ではないらしい。
となるとなんの番号だろう。
ふうむ。
液晶画面や案内版を見る。
Vélib'ステーションの番号を見つけた。
なるほど、これか!
「番号が違います。
ちなみに3回も番号間違えたらもうこの番号は使えねえよ!
この腐れジャップが!!
英語とフランス語勉強して出直してきな!!」
……なんてことだ、番号が凍結されてしまった……
折角のパリライフ、早速の挫折。
もう帰ってビールが呑みたい。
心が折れそうになるが、ここで折れてしまうと残り一週間引き籠ることになりそうなのでアロンアルファで無理やり補強してVélib'の緊急電話に繋ぐ。
「よう、どうした?この腐れジャップ?」
「い、いやあ、それが番号が凍結されちまいまして……」
「はっ!この間抜けが!!
だからお前はモテないんだよ!!
とりあえずお前の手元にあるVélibカードの番号を教えな!!」
「……は、はい……41264126です……」
「ヨイフロヨイフロ…ね……
……ってハトヤかっ!!
パリまで来て伊東の温泉かっ?!
……まあ、いいや……OK、これで解除したぜ!
……で、×○×○×× 1001だ!」
「……え、今なんて?」
「だから、×○×○×× 1001だ!」
「え??オレも温泉に行きたい??」
「バッカ、ちげーよ!
一回、伊東から離れろ!!
1001だっつーの!!」
「だから、なにが1001なんすか?
暗号っすか??
はっ!!
コレクトコールでハトヤに電話すればいいってことっすか?!」
「あーーー!
だからハトヤ関係ないヨ!
もう、とりあえず1001だからな!!
アバヨ、ジャップ!!
……ブツ……tu-tu-tu-tu-」
めでたく切られました。
という訳でその後、なにが1001なのか分からず呆然としたがとりあえず再度入力画面をピコピコいじってみる。
どうやら番号の凍結は解除されているようだ。
そして、お馴染みの「番号を入力してください」。
だから、その番号はなんだっつーんだよっ、このクソフランセーズがっ!
………待てよ、もしかして……
恐る恐る1001をプッシュする。
「登録完了できました。自転車をお取りください。」
めでたく自転車を借りることができました。
無駄に30分近くかかったが。
慣れない英語とフランス語を電話で話したせいか疲労してクラクラする。
『そうだ、私はフランス語が話せないんだった……そういや、大学時代恩師に「君はもう少しフランス語ができればねえ……院にも行けるのに……文章と論点はとてもいいんだけどなあ……」って言われたなあ……
卒論のフランス語のレジュメは当時付き合っていた彼女にほぼ全部書いてもらったなあ……
ああ、空が蒼いなあ……
先生も、あの娘も、元気かなあ……』
遠い土地で遠い記憶が甦る。
しかしこんなことがこの先一週間も続くかと思うと一刻も早く部屋に帰ってそのまま心持ちになるがとりあえずは自転車に乗って先に進むことにしよう。
これも、旅だ。
自転車をレンタルしたものの特に予定もないのでフラフラと走り、メトロの近くで自転車を返し、なんの気なしにオペラへ行ってみる。
オペラはブランドショップが立ち並び、近くにプランタンなど大きなデパートがある
東京でいうと「銀座」のような街である。
ちなみにパリは東京とリンクしている街が多い。
例えば今回私が滞在しているパリ随一のターミナル駅であり、移民街や歓楽街も近い北&東駅周辺は「上野」、パリで一番高層なビル、モンパルナスタワーが鎮座し、下町と賑やかな呑み屋街が混ざったモンパルナスは「池袋」、上品で古風なショップやシャレオツなブランド店が並ぶサンジェルマン・デ・プレは「青山」というように。
これは都市の画一化とか近似化によるものかもしれないが、NYではそれを感じなかったので「東京が巴里に憧れて造られた街」ということなのかもしれない。
何軒かブランドショップを冷やかして歩く。
ソルドのせいか土曜のせいか夏休みのせいか、やたら人が多くてグッタリする。
流石に初日から買い物する気はないし、今日は偵察とオペラの街の雰囲気を楽しむだけにして早々と自分のアパルトマンに帰ることにした。
アパルトマンに着いてもまだ6時で、外はもちろん明るい。
というか、パリは夜10時過ぎまで明るいのが(しかも夕暮れとかではなく昼間のようにフツーに明るい)。
これだけ明るいとまだまだ遊びに行けそうだがフライトと慣れない環境でだいぶ体に疲れが溜まっている。
デリケートで申し訳ない。
今日は夜、Clubへ踊りに行く予定だしとりあえず仮眠をとることにする。
こちらのClubは主に金・土で営業しているので今回の旅行で行くとなると今日しかチャンスがない(金曜の深夜に飛行機で帰るので)。
やたら柔らかいマットレスにペタリと倒れこみ、堕ちていく私。
2日ぶりの布団の感触は官能的でもある。
布団とはいつでもどこでも仲良くなれる。
そして。
起きて時計を見ると8時だった。
夜ではなく、朝の。
どうやら、14時間近くぶっ続けで寝ていたらしい。
お陰で時差ぼけはないが、もちろんClubの営業時間はとっくに終わっている。
やれやれ。
出しっぱなしにしていた気の抜けたぬるいビールを一口呑む。
なにはともあれパリ2日目のスタートだ。
窓のシャッターを開ける。
パリの空は今日も高く、蒼い。
(続く)