SndY Morning

11月のある日、オレはガールフレンドが出ていったがらんとした部屋でセミダブルのベッドに横たわりレコードを聴いていた。

布団からは仄かに甘い香りがする。

彼女の匂いだ。

The velvet undergroundSunday morning』が気怠い空気の中で漂っている。

曲名と違って今日は木曜日でしかも夕方近かったが、ここ最近学校にも行かず(夏休みが終わってから数えるほどしか行ってなかったのだが)引き蘢っているオレにとって日曜も木曜も朝も昼も夜も同じ事だったのでその曲は気分によく似合っていた。

 

この1週間余り、部屋からほとんど出なかった。

生活費は全て親からの仕送りで賄っていたのでバイトもしていなかったし特に外出する用事もなかった。

腹が減った時だけ近くのコンビニに弁当やパンを買いに行った。

オレは薄暗い天井を見つめながら何故彼女が出て行ったのかをずっと考えていた。

けれど答えは見つからなかった。

思い返してみればどんな些細な事も理由になる気がしたしどれも理由にはならない気がした。 

 

彼女は何も言わず、書き置きも残さず出て行った。

あまりに何の予兆もなかったのでいなくなった最初の夜は帰りが遅いだけだろうと特に気にせず眠りについた。

というよりは近くの呑み屋で酩酊してフラフラになって帰ってきたのでそんな事を考えている余裕もなかっただけのことなんだけれど。

 

だが、朝起きても彼女は帰ってこなかった。

洗面台に顔を洗いに行くと彼女がいつも使っていた化粧品が姿を消していた。

クローゼットを開けて中身を確認してみると、彼女の鞄と服だけがきれいに無くなっていた。

改めて部屋中見渡すと彼女の物はほとんど見当たらなかった。

残っていたのは埃まみれになって積まれた文庫本とマンガだけだった。

 

なんとなく不安になったので、掻き消す為に酒を呑んだ。

一人でへべれけになるまで呑むと明日の朝には彼女が帰ってくるような気がしてきたのでそのままベッドに倒れこみ眠った。

いつも寝る前に彼女が身につけていたゴルチエの香水が残る布団に包まるとさっきまでの最悪な気持ちが薄らいでなんだか幸せな気持ちになれた。

 

どれくらい寝ていたのだろう。

まだアルコールが残って惚ける頭を振って起き上がる。

淡い期待に揺れながら薄目で西日の照らす薄暗い部屋を見渡す。

けれど、彼女の影すらなくて。

携帯も眺めたけれど彼女からどころか一件のメールも着信もなかった。

なんとなく彼女の番号を液晶画面に呼び出しては消してを繰り返す。

すると突然携帯が鳴った!

……が、携帯の液晶に表示された名前は『ヤマダ』だった。

腹の底から搾り出すようにため息を吐き通話ボタンを押す。

「今から遊びに行っていい?」

「土産に酒を持ってきてくれるなら」

「オッケー。じゃあ、酒を買って行くよ」

 

30分後、ヤマダは土産にウイスキーを持って部屋にやってきた。

ウイスキーはなかなか上等なヤツだったので

オレは上機嫌でヤマダを部屋に通して一緒にそのウイスキーをロックで飲んだ。

ヤマダは大学の数少ない友人の一人だ。

ヤマダは目鼻筋が通ったなかなかクールな風貌なのに元来の人見知りする性格のせいか、余り友達は多くなかった(とはいえ、オレよりは随分多い)。

 

オレがあまり学校に行かなくなってからも授業の終わった後、時間がある時はよく遊びに来た(オレのアパートは学校から歩いて5分くらいの所にある)。

 

ヤマダはオレに関係する世界の近況を教えてくれた。

大学では文化祭が行われたらしい。

オレはこれ以上休むと重要な単位を落とすらしい。

最近リリースされたThe Libertinesの『Up the Bracket』は最高だ。

The Strokesはクソだ。

The White StripesはまあOKだ。

最近彼女ができた。

彼女とはバイト先のレコードショップで知り合った。

彼女はヤマダより2つ年下だが、ヤマダと付き合う前に20人以上の男と付き合っていたらしい。 

ヤマダは

「オレは今まで4人としか付き合った事がないからおよそ5倍だよ。」

と言った。

オレは

「前の彼女としか付き合った事がないオレのおよそ20倍だな。」

と応えた。

オレ達はお互いなんとなく笑った。 

別に面白くなかったが笑うしかなかったのだ。

2人で笑い続けていたらなんだかムカついてきたので怒りのやり場をレコードに求めてThe Smithsの『The Queen Is Dead』をかけた。

メロウな音が心地よく部屋に満ちていく。

こんな不公平でどうしようもない世の中でも

生きていればいい事があるって思える音だった。

少しだけ救われた気がしてきたのでそのまま酒を呑み続け、くだらない話をして大いに笑った。

そしてレコードに合わせて2人で歌った。

「Some girls are bigger than others
Some girls are bigger than others
Some girl's mothers are bigger than
Other girl's mothers・・・」

 

ヤマダが帰った後、泥酔したオレは風呂にも入らずそのまま蒲団に潜った。

彼女の甘い残り香は消えかかっていた。

目を瞑って羊を数えてみたがまったく眠れなかった。

時計の音がやけに気になる。

起き出してヤマダの持ってきてくれたウイスキーの残りを呑んだ。

何の味もしなかったけれどダブルで2杯呑んだ。

それからもう一度蒲団に潜った。

ほんの少しだけ彼女の匂いを思い出した。

冷たい蒲団でオレは一人眠りについた。

 

昼過ぎに目を覚ましてしばらく蒲団の中で微睡む。

心地よさに溺れるように。

それにも飽きて目を開いて、ぼんやりと天井を見つめる。

彼女の匂いはもう消えてしまった。

そして、彼女はもう帰ってこないだろう。

当たり前のことにやっと気が付いた。

いや、最初から気が付いていたのに気が付かないフリをしていた。

だから気が付いたフリをした。

1時間後にオレはようやく起き上がりシャワーを浴びて、風呂場で久しぶりに髭を剃って、部屋の片隅に置きっぱなしになっていた彼女の本を携えて駅前の古本屋に向かった。

買取カウンターのおかっぱで眼鏡の冴えない女の子にその本を手渡す。

女の子はオレの顔を見て、

「冴えない男が冴えない古本を持ってきたよ……」

という顔をしながら、

「しばらくお待ち下さい」

と言って査定のため、奥に去っていった。

オレは手持ち無沙汰なまま、古本を眺めて時間をつぶす。

10分後、名前を呼ばれてカウンターに行くと

「7冊で125円ですがよろしいですか?」

と先ほどの眼鏡の冴えない女の子から無愛想に言われたのでオレは無言で微笑み頷いた。

 

100円玉と10円玉と5円玉を財布に入れず、握り締めたまま近くのゲームセンターに行き脱衣麻雀をやった。

開始5分で照れるように顔を赤らめたやたら目と胸がデカいアニメーションの女の子に

「ロン!」

と告げられ、服を一枚も脱がせる事ができずに負けた。

席を立ち、近くのコンビニでチロルチョコを買って残りの小銭をレジ横の募金箱に入れた。

それを食べながら帰った。

想像通りの安っぽい味がしたが今のオレには相応しい気がしてきて空虚感を吐き出すようにして笑った。

こうしてオレの22歳の恋は終わった。

 

rainny go-round

2月最終週の東京の街。

傘を射して、スターバックスの珈琲を啜る私。

昨夜は久しぶりに呑み過ぎた。 

宿酔いと云うほどではないにしても身体が重い。

左手に巻いた時計を覗く。

もうすぐ3時を回ろうとしている。

竹橋から九段下までの高速の高架下。

冬のせいなのか天気のせいなのか景色は寒々しい。

そういえば私は10年前もこの辺りを歩いていた。

当時、新卒で入った会社を一年足らずで辞めて、学生時代にアルバイトしていた新聞社へ戻って、展覧会の設営準備などを手伝っていた。

なんの展望も希望もなく転がり込んだ先でなんとか契約社員で雇ってもらい、今はスポーツ誌の記者をしているのだから巡り合わせとは不思議なものだ。

あの頃から今に至る年月の間で色々なものが変わった。

5年後には東京でオリンピックが開催されるなんて10年前は誰が予想できたであろう。

震災で原発メルトダウンするなんてヘタなSF小説のようだ。

そういった外的な環境だけでなく私自身も色々と変わった。

仕事や価値観、思考と嗜好、そして大切な人も。

しかし変わらないことも色々とある。

好きな本や音楽、服装のセンス、女性の好み、何に対して怒りを感じるのかなど…むしろ変わらないことの方が多いくらいだ。

人間は、14歳でも24歳でも34歳でも芯の部分はほとんど変わらないものだなと最近つとに感じる。

そういえば、今身に付けている機械式の腕時計もカシミヤのストールも当時から愛用していたものだ。

私は昔から上質でシンプルなものが好きだし、物はできる限り長く使い続けたい。

そういった嗜好も変わっていない。

 

昨晩、私は外にいるのに珍しく独りで酒を呑んでいた。

1週間前に死んだ友人のことを考えていたら無性にアルコールが欲しくなったのだ。

誰とも話したくなかった。

けれど自宅で呑む気分にはなれなかった。

なんとなく目についた神保町の裏路地にある小さなイタリアンに入ってタパスと白ワインのボトルを頼んで独りで呑んだ。

結局、一人でボトルを2本空けて、へべれけになって家に帰り、今に至る。

珈琲は温かくて苦い。

 

人とは高校生のときに部活で出会った。

陸上部で二人とも長距離をやっていた。

部活動に熱心な高校ではなかったので、趣味程度の気持ちで走る部員が多数を占めるなか、友人だけは人一倍陸上に対して真摯に取り組んでいた。

才能もあったのでめきめきと頭角を現し、都大会でも好成績を納め、スポーツ推薦で駅伝の強い某有名私大へ入学した。

私はといえば、才能もなければ、勤勉さも持ち合わせていなかったので、ダラダラと走り、ダラダラとサボり、もちろん陸上では結果を残すことはできず、一浪してスポーツとは無縁の某私大に滑り込んだ。

まったく正反対の性格と生き方が良い方向に働いたのか友人とは高校を卒業してもたまに珈琲を呑んで下らない話をする気のおけない仲だった。

私はその頃にはかなりのハードドランカーになっていたが、友人は駅伝選手になるため節制してアルコールを呑まなかったので、彼と会うときはいつも珈琲だった。

3年のとき、彼が初めて箱根で走ることになったときは現地まで応援にも行った。

汗と生気でキラキラと輝きながら駆け抜けていく友人を見て、私はとても誇らしい気持ちになったのを覚えている。

4年では花の4区を走り、卒業して某一流企業の実業団に入り、陸上のエリート街道を邁進していく友人。

私はといえば、なんとか大学を卒業して、やっとこさ入った会社を1年で辞めて、タラタラと生きていた。

その頃の私にはなんの展望もなかった。

本が好きだったのでなんとなくモノを書く仕事に就ければいいなあと考えながら酒と映画とセックスに溺れていた。

四畳半の饐えた臭いの部屋、ゴダールの訳の分からない映画、ドストエフスキーハナマサの安ワイン、精液で汚れたベッドシーツ。

私の中心は未だそこにある。

順風満帆に見えた友人の人生だったが、社会人2年目に右膝を故障し、北京オリンピックの選考レースをすべて辞退した辺りから陰りが見え始めた。

それでも、懸命な治療とリハビリで次のオリンピックを目指していたのだがーーー2度目のトラブル。

今度はアキレス腱の怪我でアスリートとしては致命傷だった。

友人が引退を決めた夜、私たちは初めて杯を交わした。

「オレはもうダメかもしれない」

友人の呟きに私は何も応えなかった。

仕事上、様々なトラブルで表舞台から去っていくアスリートを見てきた私でも、青春全てを賭けて積み上げてきたものが崩れ落ちてしまった10年来の友人にかけるべき相応しい言葉なんて何処にも持ち合わせていなかった。

私は黙ってビールを呑みながら彼が大学駅伝で沿道を走り抜けていくシーンを頭のなかでリプレイしていた。

キラキラと輝く彼の後ろ姿があっという間に遠くへ、小さくなっていく。

その瞬間を何度も。

 

友人は選手を引退した後、仕事を辞めて叔父が住む福岡の運送会社に転職した。

東京を離れる前日、私たちは二度目の杯を重ね、いつも通りどうでもよい話をして別れた。

それが私と友人にとって、最後の夜になるなんてその時は想像もできなかった。

会話の内容なんてほとんど思い出せないが私たちは二人とも競走馬が好きだったので2日後に行われるダービーの予想をしていたのだけは覚えている。

過去最高のメンバーが揃ったと云われた2010年のダービーで彼が強く推していたエイシンフラッシュが先頭でゴールを駆け抜けて、私の馬券も的中したのだから忘れようがない。

なにより直線力強く抜け出したその姿は友人のアスリート時代を彷彿とさせて、私はとてもうれしかったのだ。

 

あれから4年ー。

震災が起きてこの国は東と西に大きく分断された。

私は仕事をこなしがら東京でなんとかサバイヴしていた。

4年間の人生で、何百の本を読み、何百の音楽を聴き、何人かの女の子と寝たけれど、私の中心は結局薄汚れた四畳半の部屋のままで。

そういう色々なことに辟易としていた月曜日の朝に私は友人の死を共通の友人のFacebookで知った。

その時、私は彼の死そのものよりもこの4年間に私の周りで起きた様々なことを想った。

出会った人々や去っていった人々、失った多くのものと手に入れた僅かなもの。

そういうことを想って、少し悲しくなった。

 

2月最終週の東京の街。

傘を射して、スターバックスの珈琲を啜る私。

私は歩きながら彼が大学駅伝で沿道を走り抜けていくシーンを頭のなかでリプレイしている。

キラキラと輝く彼の後ろ姿があっという間に遠くへ、小さくなっていく。

その瞬間を何度も。 

 

 

後藤浩輝騎手と私の叔父に捧げてー

F※※k'n summer

宝塚記念が終わり、夏競馬が始まった。

東京の街はまだ梅雨も明けきっていないが、兎角夏が始まったのだ。

競馬好きにとってレーシングカレンダーは季節と連動している。

桜花賞が来ると「春が来たなあ」と浮き足立つし、ダービーが終わると「一年ももう半分過ぎたか」と憂鬱になるし、有馬記念の週になると暮れの寂寥と新年の期待に耽り、一年は過ぎ去っていく。

 

嗚呼、夏か。

外れ馬券を破り捨てて私は小さくため息を吐く。

夏の始まりはいくつになっても切ない。

紫陽花の枯れる季節はいつも気持ちが落ち着かない。

この気分は昨日呑み過ぎたこととは関係ない。

言い訳じみたヘタな言い回しばかりで大変申し訳ない。

 

窓際に置いたソファーから眺める梅雨の空は鉛色でまるで私の心模様を映し出しているようで。

『素直な 曇り空 何から始めようか 雨音呟く』

学生時代好きだった人が書いた短歌をふと思い出す。

そういえばあの人は今頃何をしているのだろうか。

当時の私は今よりどうしようもないバカなヤツで、どれくらいバカかというと、好きな人が在籍しているからというどうしようもない理由でまったく興味のない短歌会に所属していたくらいバカだった。

彼女は短歌会の中心にいて、才能もあったし、何より美人だった。

私はといえば、才能もなければ、熱意もなく、ただ彼女に憧れて入ったバカだったのでお茶を濁す短歌ばかり書いて周りに失笑されていた。

『飲み過ぎて 後悔したのに 気が付くとプルを引いてる 終わってるなあ』

『あの馬を 次ぎに買おうとメモをして レースが終わって メモに気が付く(パンチドランク!)』

『ヤレそうだ 確信した日は 大体、毎回部屋で 擦って後悔』

など。

我ながらヒド過ぎて読み返すだけで吐き気がする。

なにより今とやってることがほとんど変わらないところに救いがない。

万事こんな調子だったので講評会では酷評の嵐だったが、彼女は爆笑しながらなぜかいつも褒めてくれた。

「あなたの歌は型にはまってなくてとても魅力的よ なんか変にリズム感いいし 私は好き」

確かそんな事を言ってくれた。

私はそう言われて満更でもなかったし、「(あなたの歌が)私は好き」の()の部分を都合良くデリートして、いつか付き合えるはずだと猛っていた。

『ヤレそうだ 確信した日は 大体、毎回部屋で 擦って後悔』

 

『旗振って 降る雨蹴って 手を振って もう迷いは捨て 思い出めくって』

彼女の歌は清らかな響きなのにどこか悲しくて儚くて。

会の女性だけでなく、男性にも人気があった。

そんなある日、たまたま彼女と私は一緒に帰ることがあった。

私はいつも通り、途中のコンビニで缶ビールを買い、それを空けながら彼女とたゆたゆと歩いていた。

彼女は呆れて笑いながらも、私が勧めたビールを一緒に呑んでくれた。

6時を過ぎても明るい夏の夜と帰路を急ぐ人を乗せた山手線沿いの道。

暮れゆく陽の光が彼女の長い睫毛に影を落とす。

線路を叩く車輪の音とその間を縫って続く会話。

今でも忘れない、夏の美しい思い出。

『忘れないよ ごまかされないよ 長い冬が 解けていく様に 透き通っていく』

その夏、彼女はこの「青さよ」という短歌で賞を取り、そして一個上の先輩と付き合うことになり、私は短歌会を辞めた。

『巡りゆく 季節に気が付かない バカなオレは ゴール板過ぎて 勝ち馬に気付く』

夏はやはり嫌いだ。

 

respect by 小谷美紗子「雨音呟く」「日めくり」「青さ」

巴里阿房旅行記5

私は片付いた部屋でビールを呑んでいる。

今日で旅も終わり。

リビング、キッチン、バスタブ、トイレの掃除を終えて、あとは大家の点検を待つばかり。

空になったビール瓶を指ではじく。

水滴が飛び散って、瓶が揺れる。

私はふぅと息を吐いて立ち上がり、冷蔵庫からもう一本ビールを取り出す。

まだ4本くらいストックがある。

少し余計に買いすぎたらしい。

まあ仕方がない。

昨日、突然熱を出して酒を一滴も呑めなかったせいで予想とズレてしまったのだ。

幸い、今朝にはなんとか熱は下がったが、昨晩はかなり高熱にうなされて寒気が止まらなかった。

ネガティブに逆回転する思考もあってこのまま死ぬのかとベッドの中でうすぼんやりと考えてしまった。

「ああ、私はパリで死ぬのか……

まだ童貞も捨てていないのにこのまま死に往くのか……

なんてことだ……

こんなことなら昨晩通りかかった歓楽街で娼婦でも買えばよかった……

あの時、娼婦のウィンクをすかした笑顔なんかでかわさなければ……!

クソ……!


……ええい、死んでたまるか!


そうだ、一発ヤるまで死ぬものか!!」


斯くして私は死の淵より蘇り、こうしてビールを呑んでいる。

童貞の生命力、侮るなかれ。

段々と見慣れ始めてきた窓のフレームから空を見る。

今日は珍しく雲がどんよりと太陽を覆っている。

まるで私の気分と同調しているようだ。

もちろん、ただの錯覚だが。


大家の点検を終えて、鍵を返し、始まりとは逆に駅までトランクを引く。

買い物した服やら酒が詰まって、行きよりも重くなったトランクのタイヤが石畳を叩いてゴツゴツと重々しい音を立てる。

一週間お世話になった常設市場の横をすり抜けて空港まで直通電車がある北駅へと向かって歩く。

駅舎が近づくにつれて私と同じようにトランクを引いたり大きなリュックを背負った旅行者たちが増えてくる。

厚い曇り空の切れ間から光が刺して駅舎に立てられたトリコロールの旗を照らす。

まるで寂しく微笑かんで別れの挨拶を交わすように旗が揺れる。

私も同じように微笑んで別れの挨拶を送る。

さよなら、パリ。


空港で飛行機の搭乗を待ちながら私は缶ビールを呑んでいる。

飛行機に乗ってしまえば12時間後には成田に到着するだろう(無論、落ちなければだが)。

旅の終わりの感傷に浸りながら呑むビールはほろ苦い。

一週間程度の短い時間だったが私はこの旅で少しは変わっただろうか。

変わったような気もするし変わっていないような気もする。

でも、パリに来るまであった

うんざりした気持ちは少し軽くなった、と思う。

理由はよく分からない。

ただ居住する地点から遠く離れた場所にいても私は私なのだと確信できた瞬間、気持ちがほどけてふっと軽くなったのだ。

いつもとは言語も文化も違うスペースで料理を作り、走り、酒を呑み、映画を観て、街を歩き回ることで、私の内部でもつれていたものがゆっくりと弛んでゆくのを感じた。

短期間で上手くその効果をあげられたのはパリが私にとって特別な街だからこそだろう。

ありがとう、パリ。

ビールを頭と同じ高さまで上げてから口元へ運ぶ。

冷たさと炭酸が心地よい。

そう、実際少し距離を置かないと見えないものや分からないことも結構あるのだ。

もう少しいればもっと様々なものが見えたり分かったりしたのかもしれないが、我が儘を言うのはとりあえず止めておこう。

来ようと思えばいつでも来れるのだから。

そう思える限り、旅は永遠に続くのだ。

東京経由での乗り継ぎ。

次の目的地は未定だからまた長い滞在になりそうだ。

搭乗案内のアナウンスが聞こえる。

私は立ち上がる。

まだまだ、旅の途中だ。

 

 


そうオレ達の旅はまだ始まったばかりだ!
(第一部完)

巴里阿房旅行記4

せっかくパリに来たので今日は買い物へ行こうと思う。

パリと云えば「買い物」である。

OL的な思考で申し訳ない。

この街には数多くのショップがあり、もちろんヨーロッパブランドは日本よりも20-30%程度安い。

しかも私が今回訪れた7月はソルドの時期。

シーズンを過ぎたものならそこから更に50-70%オフで買える。

服が好きな方なら狂喜乱舞、一歩ステップを踏み外すと買い物袋とカードの支払い額の重さでバランスを失い、転落して二度と戻ってこれないくらい安いのである。

斯くいう私も自前のダンスシューズ持参、踊る気満々でパリにやってきた。

ニジンスキーへの挑戦状を胸に、さあ戦場へ。


パリで集中的に買い物を楽しみたいなら下記に挙げる3つのエリアへ行くのがベターだ。

1つ目はシャンゼリゼ通り~オペラ。

ここは以前書いた通り、「銀座」のような街で凱旋門からオペラまでブランドショップが立ち並ぶパリの中心部にあたる場所である。

もちろん、構えるのは銀座同様ハイエンドなブランドが多い。

エルメス、ヴィトン、シャネル、Dior、サンローラン、イタリア系だとD&G、ボッテガ、プラダなど錚々たる面々だ。

とはいえ、このあたりのハイブランドは20-30%オフになったところで鼻血が出るほど高かったり、ソルドをやってなかったりとなんともけしからん店が多いのも事実である。

さらに東の方へ進むと雰囲気が銀座から青山辺りに近くなり、『ハイプライス』よりも『ハイセンス』なお店へ変化していく(ハイセンスなものもハイプライスではあるのだが)。

例えばパリのセレクトショップの草分け的存在、コレット

東京にもギャルソンと組んで出店していたしご存知の方も多いかと思う。

コレット以外にも、ファッションだけでなくエレクトロテクノのコンピレーションCDも人気を博し最近表参道にも出店していたkitune、

デザイナーが事実上退任しても圧倒的支持を得ているマルタン・マルジェラなど一癖二癖あるブランドが軒を連ねる。


2つ目はマレ地区。

こちらは今パリで一番活気のあるエリアで、日本の雑誌でもよく取り上げられている。

ブランドの直営店よりもセレクトショップが多いのも、この地区の特徴だ。

そしてその代表格がMerciである。

このお店は服だけではなく、キッチン雑貨、家具、果ては花まで販売している

トータルスタイルコーディネートセレクトショップである。

さらに、商品の販売利益がチャリティと結びつくフィランソロピー活動にも重点をおいているパリのセレブ御用達のお店だ。

3つ目がサンジェルマン・デ・プレ。

実は私がパリの中で最も好きな地区の一つでもある。

ハイブランドもカジュアルもセレクトもバランスよくあるし先述の地区より観光客が比較的少なくて落ち着いて買い物しやすいなかなか素敵なプレイスだ。

それもあって、自然と主戦場はこちらに相成った。

いざ、ダンスパーティーへ。


まず私が向かったのはマルジェラである。

オペラにもショップはあるがこちらの方が店に奥行きがあって見やすい。

ステップは軽やかに意気揚々と入店、今シーズンの新作をひらりとかわしながら目指すはもちろんソルドコーナーである。

ジャケット、セーター、コート、シャツ、パンツ、全てが半額。

「足取りは軽やかに、心はクールに!」

そう自分に言い聞かせるが鼓動は早くなるばかりである。

長身で短髪ヒゲ面の男の店員(多分ゲイ)が気さくな笑顔で私になにやら話しかけている。

しかし私の耳にはその言葉は届かず、足は勝手に鼓動のBPMに合わせてステップを踏んでいる。

胸に沸き起こる衝動に任せて、自然に、しなやかに。

ステップ、ターン、ステップ。

ダンス、ダンス、ダンス。

 

ふと我に返ると、巨大な紙袋を手に持って店の前にいた。

「はて、これは一体なんだろう?」

中を覗くと先程店内で見ていたレザージャケットが入っている。

もしや欲しすぎて盗んでしまったのかしらんと慌てたが左手にしっかりレシートを握り締めていたのでどうやらその心配はないと一先ず安心する。


しかし、である。


客観的に状況を整理するとどうやら私はこのレザージャケットを購入したらしい。

いつの間にか。

これは先程の店員の奇術か催眠術の類なのか?

キツネにつままれたような気分になる。

しかし買ってしまったものは仕方ないし返品するのも忍びない。

気を取り直して次の店へ行くとしよう。


Paul&Joeカンペール、A.P.Cなどをウインドショッピングしてフラフラ街を歩いているとバレンシアガにたどり着いた。

バッグが有名なこちらのブランドだが、ジャケットやコートにもなかなか定評がある。

また催眠術の類にかけられるのではとビクビクしながらも店に入ってみる。

そんな挙動不審な私を小柄でかわいらしい女性の店員が素敵な笑顔で迎えてくれる。

なかなか感じが良い。

だが心を許すとまた大変な目に遭いそうなので警戒は怠らないようにする。

目を尖らせて、ステップは力強く、服をチェック。

しかしソルドの表示がなく段々と私のステップは弱々しくなっていく。

千鳥足のような覚束ない足取りのステップで冷静に見るとただの布なのにけしからん値段が付いている。

こんな物を買うなんてよっぽどの阿呆だな、などと独り語知る。

そうやって私が独りでブツブツ言ってるのを見ていた先程の店員が何を勘違いしたか口元にキュートな微笑を浮かべてこちらにやってきた。

「ここは表示がないだけで全品50%オフよ」

……ほほう。

しかし50%オフだろうと高い物は高いし、すでに私の左手の紙袋には大物が鎮座している。

私は気のないふりと笑顔を返して出口へと向かう、

 

……と見せかけて!

緩いターンから強弱をつけた変則ステップで応える。

ターン、エンド、ターン。

ダンス、ダンス、ダンス。

 

私はカフェで濃いエスプレッソを飲んでいる。

サンジェルマン・デ・プレには歴史のある有名なカフェが多く、お茶をするだけでも楽しい。

今私がいる席にも、もしかしたらあの有名な文人や哲学者たちが座り、仲間たちと語り合ったり原稿と睨みあっていたかもしれない。

そんなことを考えてみる。

フランス語で「花」という名のこのカフェの二階は静かで窓の外に植えられた緑が優しく、穏やかな気持ちになる。

日本では味わえない珈琲の苦さはパリに来たことを思い出させて胸を暖かくしてくれる。


……しかし……


いつ私はこのカフェに来たのだろう?

先程まで買い物を楽しんでいたはずなのに………

ふと、隣に目をやると大きな紙袋がある。

先程、マルジェラで買ったものだ。


……いや、

2つ……2つに増えてる!!
(ゴゴゴゴゴ………)

『待て……落ち着け……オレはどこからの「記憶がない」んだ?

あの店に行った時は確かに記憶があった!!

そう、オレはあの店で服を見ていた……

しかし、今珈琲を飲んでいる!!

クッ……何が……

……一体何が起きてるんだ?!
(ゴゴゴゴゴ………)』

不審な動きがないか辺りを注意深く見渡し、

紙袋を恐る恐る開けてみる。

灰色のショートジャケットである。

カッコいいがバレンシアガである。

50%オフとはいえタダで済むはずがない。

どうやらヤツらの術中にハマってしまったようだ!

私はカードの引き落とし額を考えて憂鬱になり、しばし呆然とする。

マルジェラのレザージャケットを着て、目黒のはなまるうどんに行って貧民セット(素うどんといなりずし 計200円)を食べる自分の姿が頭をよぎる。

恐るべし、パリの魔術!


しかしまあ、買ってしまったものは仕方がない。

気を取り直して駅前にあるラデュレでマカロンでも買おう。

帰りにビールを買って家で購入した服を飾り、祝杯をあげよう。

この魔術に酔わされるのも悪くない。

そう、これも、旅だ。

緑色の光線が走る窓をぼんやり覗く。

ああ、パリの光は柔らかく暖かい。

(続く)

 

巴里阿房旅行記3

パリに来て今日で4日目だ。

毎日が光と陰の矢の如く過ぎ去っていく。

間違いなく東京と流れている時間の速度が違う。

街の速度は東京よりも緩い。

しかし旅人の私には毎日が新鮮なのでいつもよりギア2つ分くらい加速して日々が過ぎていく。

もし東京と同じ速度で街が廻っていたら、私の目は回っていただろう。

ただその速度にもだいぶ慣れて自分のペースで過ごせるようになってきた。

今日はいつもより少し早く(とはいっても朝8時過ぎだが)起きたので、歯を磨き、顔を洗って、外へ走りに行く。

なぜパリまで来てジョグをするのかは自分でもよく分からないが、普段から走ることと密接に結びついた生活をしていると走らないのはなんだか落ち着かないのだ。

例えは悪いが麻薬を手放せないジャンキーと一緒である。

ナイキのランニングシャツ、ショートパンツ、エア入りのランニングシューズという格好で東駅を越えてパリの北へと抜けていくとルールク運河という細い川沿いの道へと出る。

この道をさらに北へと進んでいくと右手にラ・ヴィレットという小綺麗な公園が見えてくる。

周辺には新興住宅街の高層マンションとシネコンなどがあり、横浜やお台場に雰囲気が少し似ている。

この川沿いの道は絶好のランニングコースになっていて私の他にも何人もジョガーがいる。

私も混じって黙々と走る。

日本で普段走っているよりも少しだけ遅く、風景を見渡せるくらいのスピードで。

流れる風景、街の音、ランニングシューズがコンクリートを擦る音、自分の息づかい。

全てが一つのリズムになって私の体内で響く。

走ることで街と調和していく。

それだけでなんだか嬉しい。

ゆるゆるとマイペースで走り、折り返して同じ道を今度は逆に走る。

正確な距離は分からないが大体往復で8kmくらいになるコースのようだ。

またしばらくゆるゆると走っていると後ろからヒタヒタと足音が迫ってきた。

私はそれなりにジョグに自信があるので抜かれるのは気分的に面白くない。

足音を振り払うように少しだけペースを上げる。

……まだ、ついてくる。

息を大きく吸ってさらにペースを上げる。

日本でジョグしているのとほぼ変わらないスピード。

…………しかしピタリと背中に貼りついたように足音が聞こえてくる。

間違いなく相手も私を意識している。

後ろを振り返るのも癪なので追跡者を想像で描く。

マッチョな白人のアメリカ人。

パリには商用でやってきて(飛行機もビジネスクラスだ)、商談の前に日課のジョグをしている。

現在の状況は前方をちんたら走っていたもやしみたいなジャップをさっさと抜かそうとしたら意外に粘られている。

『ちっ!このジャップが!
敗戦国の民族のクセによっ!!
オレ様にさっさと抜かれちまいな!』

と心の中で悪態を吐いている。

……ふむ、そこまで言われたら、漢として、ジョガーとして、黙っていられない。

いいだろう、日本代表としてこの勝負受けて立とう!

ペースをレースモードにギアチェンジ。

時速15kmくらい。

10kmを39分くらいで走れるスピードだ。

そこら辺のジョガーなら軽く千切れる。

しかし、相手もアメリカ代表。

背中に貼りついた足音はそのままだ。

このメリケン、やるな!

スパートのダッシュをかける体力はまだ残っているが、あくまで真摯にジョグで片をつけたい。

真っ向勝負だ、こい!

私は後ろを振り返らず淡々と走る。

相手も淡々とついてくる。

逃げる私、追うメリケン。

10分経過。

まだ決着がつかない。

TV中継していたらみんなきっと釘付けだろう。

道には観客が溢れ返り、声援が飛ぶだろう。

そう思ったらますます、負ける訳にはいかないだろ?

15分経過。

ジョグコースの終わりが近付いてきているが、まだ決着はつかない。

まったく、しつこい。

きっと相手もそう思っているだろうが。

しかしここまできたら負けたくない。

否、日本代表とし負ける訳にはいかない!

リズム良く交互に右と左の脚で固いアスファルトの地面を蹴る。

腕を振り、腰を回転させて、推力に変えて風を切る。

腹式呼吸で肺に酸素を送り、心臓をポンプする。

この世界では自分が走らない限り前に進まないし止まったとしても誰も助けてくれない。

だから私は走る。

ただ前へ前へ、と。

勝負は意外な形であっさりと決着がついた。

コースの終わり、仮想ゴール500前で突然、足音が止んだのだ。

すっ、とまるで足音だけではく、ジョガーの存在自体が消えてしまったかのように。

思わず振り向きたくなるのを堪えて私は走った。

左手を小さく、しかし強く、握り締めた。

そのまま私はジョグコースの終わりまで同じペースで走り続けて止まった。

私は勝ったのだ。

それは架空のアメリカなのか、それともそんなものを作り出した私自身なのかよく分からないが勝ったのだ。

俯いた額から滝のように流れ落ちる汗を掌で掬って路面に捨てる。

アスファルトに黒い染みがポツリポツリと落ちる。

勢いをつけて上を向き、空を仰ぐ。

今日もパリの空は青く、高い。


走り終わって部屋に帰り、汗でビショビショに濡れたランニングシャツを洗濯機に放り込みスタートのボタンを押してシャワーを浴びる。

シャワーから出たら今日の服をテキトーに選んで着て(T.rexのロックTシャツにラングラーの黒いプレストパンツ)、濡れた髪のまますぐ近くの常設市場へ。

いくつかの野菜と果物、魚介、パンを買って帰る。

そして、音楽をかけて、簡単な朝ごはんを作る。

流れているのは相対性理論の『ハイファイ新書』。

テレ東を口ずさみながらトマトを切って、ロメインレタスを千切って、ドレッシングをかける。

それからフライパンにオリーブオイルを引いて、ベーコンをカリカリになるまで焼いた目玉焼きを作る。

それにさっき買ってきたパンとオレンジジュースとイチゴ。

立派な朝ごはんだ。

それらをゆっくりと食べて、食べ終わったあとの食器を洗い、洗濯物を室内に干し、マリアージュフレールで買ってきたお茶を入れる。

水に波紋が広がるのを静かに見ているような胸に響く香り。

上質なお茶は人生を豊かにする。

そうやってぼんやりお茶を味わっていたらいつのまにか時計の針は12時を回っていた。

さて、今日は何をしようか。

美術館に行くのもいい、ショッピングも悪くない、

当てもなくフラフラと散歩するのも楽しいだろう。

冷め始めたお茶を啜りながらパリの地図をぼんやり見ながら考える。

まあ、急ぐことはない、のんびりいこうじゃないか。


7時過ぎ、ルーブル美術館と駅を繋ぐ地下街でたまたま見つけたLa Maison du Chocolatにて私はチョコレートケーキを買っている。

店員のちょっとクールなお兄さんが手際よく頼んだケーキを包装して笑顔と共に渡してくれた。

フランスの店員は閉店間際は愛想が良い(閉店時間が過ぎると途端に愛想が悪くなり平気で中にいる客を追い出すが)。

遠足が待ちきれない子供のような、浮き立つ感じすら伝わる。

私のぶら下げている紙袋を見て、

「お前のその袋、kitsuneだろ?いい買い物したな!」

なんて事も言ってくれるくらい機嫌がいい。

きっと彼はこの仕事が終わったらデートなのだろう。

夕ごはんを好きな女の子と食べる。

とても幸せなことだ。

「Merci,moi aussi.」

僕も笑顔を返して応える。

Au revoir.Bon journée!(さよなら、良い一日を!)」

店を出る。

人の笑顔は伝染するものだ。

さあ、帰ろう。


家のすぐ近くのスーパーでビールと水を大量に買ってそれを両手にぶら下げて自宅へと戻る。

ビールは大瓶6本、水は1.5lを3本、単純に計算しても8kgある。

箸とペン以外持ったことのない私のナイーブな細い腕では痙攣して腱鞘炎になりかねない重量である。

しかし、パリではビールを冷やして販売していないので常時冷蔵庫にストックしておく必要がある。

冷えたビールを呑むためなら腕の1本や2本惜しくない。

息も絶え絶えにアパルトマンの門を潜り、エレベーターで6階まで上がり廊下を進み、やっとのことで玄関まで辿り着いた。

カギを開けて荷物をキッチンまで運ぶ。

指を見るとビニール袋の取手の痕が赤くついている。

指の感覚が、ない。

マズい、折れたかもしれない!

早急にアルコール消毒しなければ!!

冷蔵庫からキンキンに冷えた瓶ビールを取り出して栓を開け、瓶から直接呑む。

口の中で金色の泡がシュワっと弾けて、喉がゴクゴクと小気味良い音を立てる。

ウマい。

最高にウマい。

クローネンバーグ1664はフランスの宝だと確信した瞬間である。

一気に飲み干し、やっと一心地つく。

窓を閉じていたシャッターを開けてコンポの電源を入れて音楽をかける。

Sadeの新譜。

メランコリックでどこかに置き忘れていたような懐かしいメロディ。

軽く息を吐いて、買ってきた温いビール瓶を冷蔵庫に放り込み、代わりに朝買ってきたサーモン、ムール貝、エビ、茄子とトマトとズッキーニ、それから冷えたビールをもう一本取り出す。

そういえば、指の赤みは引き、感覚も戻っている。

早めの治療が効いたようだ。

ビールは偉大である。

1人頷き、新しいビールを開けて今度はコップに移して呑み、料理に取りかかる。

キッチンに出しっぱなしにしてあったタマネギとニンニクを剥いて刻み、

オリーブオイルで炒める。

甘くて香ばしい匂いが部屋に広がる。

タマネギがキツネ色になったら水の張った鍋に移して火にかける。

エビの殻を剥き腸を取り除き、サーモンとムール貝と一緒に鍋に放り込む。

コトコトと煮込まれる鍋。

アクを取りビールを呑む私。

スピーカーから流れるSade

8時を廻ってもまだ高い空。

I will not run
I will not run
I will not run......

静かに緩やかに時間は通り過ぎていく。


気が付いたら3本目のビールを開けていた。

そろそろ仕上げにかかろう。

曲をPhoenixのお気に入りのアルバムに変える。

さあ、COUNTDOWN、だ。

野菜をざく切りにして、オリーブ入りのトマトソースと共に鍋へドボンと入れる。

しばらく中火で煮込んでコンソメと塩・胡椒、バジルで味を整える。

ブイヤベースの完成だ。

器によそって、朝買ってきて固くなったパンと一緒に食べる。

丸く小さくなったエビを噛むとぎゅっと音がして、熱い。

パンをスープに浸して食べる。

魚介と野菜のスープの旨みが口の中でじんわりと広がる。

窓の外では、街が赤く染まっている。

ああ、まるで。

Is Paris Burning?

私は4本目のビールを空けようとしている。

(続く)

巴里阿房旅行記2

せっかくパリに来たので今日は美術館へ行こうと思う。

パリと云えば『美術館』である。

ルーブル、オルセー、オランジェリーなど有名処はもちろん、ピカソやダリ、ロダンなど1人の作家を蒐集した処もある。

どれも日本では考えられないほど充実したコレクションを誇る素晴らしい美術館である。

ただし、先に挙げたものは観光名所ということもあり、どれもそれなりに混んでいる。

日本の美術館のように2時間待ちとかは流石にないが(上野にダリを見に行ったら3時間待ちだったので急遽取り止めてパンダを見に行ったことがある)、絵とゆっくり対話したい人にはあまりお薦めできない。

で、私のお薦めはマルモッタン美術館だ。

この美術館は16区の閑静な高級住宅街(東京だと田園調布によく似ている)のど真ん中にあるという場所柄なのか、ゆっくりと静かに絵を鑑賞できる。

中心部から少し離れているため、人が少ないのもいい。

モネのコレクションが多数あり、印象派が好きな方は必ず気に入ると思う。

もう1つのお薦めはポンピドゥーセンターだ。

パリの美術館の中でも一際目立つ前衛的な建物に似合った近代ー現代美術のコレクションが膨大な数展示されている。

ピカソシャガール、ミロ、マティスなど誰でも知っているような有名な作家の作品もあれば、余程の芸術好きではないと知らない現代作家のコレクションもある。

毎回パリに来る度行ってしまう定番コースだが今回もこちらへ足を運ぶとしよう。

 

最寄り駅のランビュトーから、ルナール通りをセーヌ川へ向かってフラフラと5分くらい歩く。

すると右前方に色とりどりのカラフルな土管に囲まれたけったいな建物が見えてくる。

これがポンピドゥーセンターだ。

やたらだだっ広い正面の広場を抜けて、奇抜な外観とは似合わない、どこにでもありそうな普通のチケットカウンターで入場券を買う。

そして外側の壁を這うように作られた透明のチューブ状のエスカレーターを通って展覧会場へ進む。

SFっぽくてなかなか楽しいが今は夏、日差しが容赦なく照りつけてエスカレーターの中はまるでチューブ式グリル焼き機のようだ。

展覧会場に着く頃には良い色合いに焼きあがったロースト肉ができそうな感じ。

美味しく食べるなら私は痩せて筋ばってるので前方で大量の汗を拭っている丸まると太った白人の婦人がオススメだが。

暑すぎていつもは考えないようなバカなことを考えていたらあっという間に5階の展覧会場に着いた。

5階は企画展が催されている。

『DreamWorld』という絵や写真やCG、立体で新しい世界を構築する展示。

アーティストの頭の中に広がる夢の世界を堪能できる。

とは言っても現代作家の作品らしく、ほとんどは突飛すぎて意味不明なのだが、みんな腕を組みしたり顔で頷いている。

私も同じく眉間に皺など寄せてみて頷いてみる。

私が一番気に入ったのは段ボールで作った高層ビル群にこれまた段ボールで作った腕らしきものが付いたオブジェである。

一体何を表しているのかよく分からないのでしばらくぼんやりと眺めていると、どこからともなくエアロビの音楽が流れてきて、その音に合わせてビル群の手が回りだした。

どうやらビルがエアロビを踊るという趣向らしい。

踊ったところで意図も意味もまったく分からないが、展覧スペース的にもかなり良い位置を占めており、重要な作品であることは間違いない。

芸術とは深遠である。


企画展も一通り見たので、常設展へと移動する。

再度、チューブ式グリル焼き器を伝って3階へと降りる。

そろそろ塩と胡椒を振られてもおかしくない感じだ。

幸運なことに味付けされることなく、3階の扉を潜る。

こちらには現代作家の作品が所狭しと列んでいる。

毎回、この作品群を見て思うのは「声がでかいヤツの勝ち」ということである。

作品の良し悪しはいまいちよく分からないがそこに潜む強烈なエゴだけは感じとれる。

「オイ、見ろよ!オレの作品は素晴らしいだろ、オイっ!!

ほらほら、目ン玉頻向いてしっかり見ろって!!」

とそこかしこから叫び声が聞こえるようだ。

エゴの阿鼻叫喚、自意識の地獄絵図。

生半可な覚悟で行くとエネルギーを吸い取られるので注意した方がいい。

まあ、ぱっと見ゴミの山のように見えるものもあるし、ただの布の塊みたいなものもあるが「声がでかいやつの勝ち」なのだ。

それを象徴する作品として、ショーケースに収められた便器を挙げよう。

ただの男子便器に“R.Mutt”という署名と年号が書かれが「ワタクシ、芸術ですがなにか?」と澄まして透明のケースの中で鎮座している。

その周りで知識人たちがしたり顔をして頷く図は裸の王様を思い出す。

まさに現代芸術のカリカチュア

今回は高校生と思しき集団がそのケースを囲み先生から説明を受けていた。

皆、真剣なまなざしで便器を見つめてメモをとっている。

芸術とは深遠だ。


自意識の亡霊たちから逃げるように階段を駆けて4階へ移動する。

こちらには近代美術の数々が展示されている。

先に挙げたピカソシャガールマティスはもちろんのこと、カンディンスキー、ミロ、ウォーホールコルビジェなど近代の重要な作家の作品はほとんどある。

そして3階の毒気に中てられたあと見るとどの作品もより洗練されて見えるから不思議である。

手法や作品のバックグラウンドは学生時代にかじった程度しか知らない私が見ても、時代の激流をくぐり抜けてきた作品たちは、凛としていて、美しい。

眼福とはまさにこの事也。


美術館に入って約3時間ぶっ通しで作品を見続けて流石に疲れ果てたのでもう一度5階へ上がり、美術館に併設されたレストランに向かう。

このレストランはジャコブ+マクファーレンという世界的にも有名な建築事務所によって創られたものでスノッブ且つなかなか洒落た作りになっている。

店内はテラス席を繋ぐようにガラス張りになっていて眩しすぎるほど光が射しこみシルバーの壁と床に反射して、テーブルの上に飾られたバラの花の紅を一層際立たせている。

宇宙線のような壁の色彩とデザイン、すくと真っ直ぐに立つバラの花はどこか星の王子様を連想させる。

ワガママなバラを見つめながら冷えたビールを呑む。

射し込む光の輝きが、バラの鮮やかな色彩が、金色の液体から立ち上る泡が、目に映らないものより大切じゃない世界なんかに私は生きたくないな、なんて考えながら。

(続く)